医療人類学を通して考える「薬草大麻」

近年、海外では「薬草としての大麻」を再評価する動きが活発となり、非犯罪化・合法化する国や地域が増加しています。一方、日本では大麻取締法の変更に伴い、医師が管理する大麻成分を用いた製剤(難治性てんかんに使われるエピディオレックスなど)が合法的に使用できることとなりそうですが、最もポピュラーな大麻の医療利用形態であり、代替医療、セルフケア、ウェルネス、民間医療といった領域で使用する「薬草大麻」に関しての議論は全くと言っていいほど進んでいません。

その大きな理由として、私たちは日本人がイメージする「医療」がいわゆる「近代医療」に限定されていることがあると考えています。人類が歴史的に積み重ねてきた「広義の医療行為」について知ることこそが、薬草大麻を理解することへつながるのではないか。そこで、長年、医療人類学についての研究を行っている池田光穂先生にお話を伺いました。

池田光穂

大阪大学名誉教授。大阪大学COデザインセンター招へい教員。人類学の視点から、医療、コミュニケーション、サイバー空間といったテーマに関して研究を行なう。著作に「実践の医療人類学—中央アメリカ・ヘルスケアシステムにおける医療の地政学的展開」(世界思想社)、「看護人類学」(文化書房博文社)、「認知症ケアの創造—その人らしさの看護へ」(雲母書房)他、多数

そもそも「医療」とは何か?

ラボ:医療人類学とはどのような学問なのか、簡単に教えていただけますか?

池田:「健康と病気に関する文化的および社会的現象」を研究対象とする人類学研究を医療人類学(medical anthropology)と呼んでいます。昨日までの医療の常識は本当に正しいのか?、今の医療が最適で完全なものか?、人間の苦悩と向き合う医療とは?、何が人間にとって理想の医療なのか?、こういった問いについて考える学問と言えます。いつの時代でも、どの社会でも、例外なく人は死にます。病気やけがをする事も数多くあります。「どうすればその苦しみから癒され、解放されるかを考え、行動すること」が医療であると言えますが、それらを相対化し、比較検討することも医療人類学の研究分野の一つです。

現在、ほとんどの方は「医療とは何か?」と問われると、近代医療、すなわち病院で行われている治療や薬局で薬を販売することだけをイメージしますが、鍼治療や漢方は伝統医療などと呼ばれ、現在も普通に行われています。また、苦しい時に家族や友人が寄り添って手を握る、背中をさする、熱が出たら頭に冷たいタオルを当てるなどの行為や、身体に良いとされる食べ物を摂取する、体操をするなどのセルフケア行為も広い意味では医療の一部であり、原型と考えることもできます。一口に「医療」といっても多くの形があり、その時代の価値観や社会背景などに大きな影響を受けるのです。

例えば江戸時代は漢方医学が主流でしたが、明治時代になり、いわゆる西洋医学が国の医学として採用されました。ワクチンや外科手術などの分野を得意とし、近代化する社会のニーズにもマッチし、今日まで目覚ましい発展を遂げました。そのおかげで感染症や出産にまつわる病気で亡くなる人は少なくなりました。これらは西洋医学の功績と言えます。しかし、西洋医学が最も優れていて、完璧ということではありません。体質やストレスに起因する病気、例えば慢性疼痛、慢性疾患、精神疾患などは必ずしも容易に解決できる訳ではありません。現代の社会では、そういった治りにくい病気で悩む人が増えていることから、「薬草としての大麻」の利用に対し、期待や注目が集まっているのかもしれません。

SDGsや多様性、共存といった視点から考える必要性

ラボ:北米などを中心とした「グリーンラッシュ」と呼ばれる動きが加速する一方、日本ではまだまだ大麻への強い忌避感があります。現在の大麻を取り囲む状況をどう考えていますか?

池田:国から禁止されている一方で、ビジネスに利用され過ぎている側面があると思います。売れるからという理由で、THCの含有量を過剰に増やす品種改良が行われたり、効率的に収穫量を増やすことだけを目的とした無茶な栽培方法が考え出されたり。もしも、これらを伝統的な社会で大麻を上手に使ってきた人や大麻を敬ってきたシャーマンのような人が見たら驚き、嘆き、悲しむのではないでしょうか。「現代人はなんと愚かなのだ」と。

話が飛躍するかもしれませんが、日本での大麻に関する議論は医療分野だけにこだわらないほうがいいかもしれません。SDGsや多様性、共存といった様々な視点から、いろいろな方法を探る必要がある。大麻は「薬効を有する」「薬草として役に立つ」だけでなく、そもそも人間が使ってきた天然資源であり、生物素材です。繊維、宗教、食糧など様々なものに利用されてきました。それぞれに伝統的な知恵や工夫があり、人々は上手に大麻と付き合ってきたという歴史があります。それらの視点から考えることや資本主義・グローバル経済に対抗するような視点も必要だと思います。

どうすれば、人々は本当に幸せになれるか?

ラボ:日本でも大麻取締法が大きく変わろうとしています。「薬草としての大麻」に関する議論について進めるために、何か良い方法はないでしょうか?

池田:議論を進める上で、医療人類学という学問が特効薬になるということはないと思います。しかし、モノの見方を変えてくれるヒントにはなるかもしれません。結局のところ、「どうすれば人々は本当に幸せになれるか?」を真剣に考えなくてはいけないのです。また、「今の医療の在り方が本当に正しいのか?」と疑ってみることも必要です。一例をあげれば、製薬業は国による厳重管理のもと行われます。一定の合理性はありますが、本当にそれだけで良いのか?唯一の正解なのか?といったことを真剣に考える必要があります。自分の健康は自分で責任を持つ事ができるのだから、例えばパクチーのように大麻を自宅の庭で育て、週末はそれを使い料理を楽しんで、仲間とパーティーをし、楽しく健康になるような付き合い方もあるのではないか。そういった意味で、大麻という薬草を自由に栽培をする権利も同時に議論・検討されても良いのではないでしょうか。

ラボ:その点で言えば、タイの政策が素晴らしいと感じます。大麻の苗を全国民に配り、まずは国民に広く植物としての教育と周知をしました。タイはそもそも伝統医療・民間医療として大麻を用いる文脈があり、それを「東洋の医療」として世界に発信するための政策(*参考1)です。巨大な企業がリードし、ビジネスの面から法律を動かし、合法化に至った北米のあり方とは異なります。

池田:大麻の問題にビジネスを持ち込んではいけない、という意味ではもちろんありません。経済的な合理性「のみ」にとらわれることなく考えていく必要がある。また、大麻を解禁するというトピックは良いことばかりではなく弊害もあるでしょう。当然ですが、隣人とうまくやる必要はあり、アナーキズムを超えた英知が必要となります。

本来であれば、大麻の問題については国をあげて話し合うべきで、厚生労働省だけでなく、農林水産省、環境省や文部科学省などをパートナーとして啓蒙するべきです。そうした形でちゃんと考えなければ「CBDは良いけど、THCはダメ」といった低レベルな議論となるでしょう。ともかく、様々な分野をまたいで、横断的に議論していくことが非常に重要です。そうでなければ、日本社会で大麻という薬草が理解され、誰もが気軽にアクセスできる日が来ることはないでしょう。

参考1*FINDERS「世界中で話題を呼んだタイ大麻解禁に秘められたビジョン。東洋の医療として世界にアピール」

取材日 2022年9月25日