厚生労働省は長年、大麻という存在に対し「ダメ。ゼッタイ。」という立場をとっています。この「ダメ。ゼッタイ。」はいわば、海外での大麻に関する変革や近年の科学的な知見などについても、一切考慮すべきでないという態度表明と捉えることが可能です。
一方、あまり知られてはいませんが、同省が運営する「統合医療」情報発信サイトeJIMには、「大麻(マリファナ)とカンナビノイド」(*参考1)というタイトルで、大麻という「薬草」やその成分カンナビノイドに関する医療情報が掲載されています。一見、矛盾した態度だと感じざるを得ません。この乖離はいったいどのようなことなのでしょうか?医師・研究者で、eJIMの監訳を務める大野智さんにお話を伺いました。
大野 智
島根大学医学部附属病院臨床研究センター・教授。補完代替医療や健康食品に詳しく、厚生労働省「統合医療」情報発信サイトの作成に取り組むほか、日本緩和医療学会ガイドライン統括委員を務める。主な著作に「健康・医療情報の見極め方・向き合い方—健康・医療に関わる賢い選択のために知っておきたいコツ教えます 」(大脩館書店)、「民間療法は本当に「効く」のか: 補完代替療法に惑わされないためのヘルスリテラシー」(化学同人)等。NHKをはじめ、メディアにも多数出演。
「統合医療」「補完代替療法」とは?
ラボ:「統合医療」「補完代替療法」といった言葉は一般的には聞き馴染みが薄いと思います。簡単に教えていただいてもいいでしょうか?
大野:それらが日本で正式に議論されたのは、2012年度に厚生労働省が行った「統合医療のあり方に関する検討会」においてです。その際に、いわゆる民間療法を「相補代替療法」あるいは「補完代替療法」と呼ぶことにしました。これらはどちらも「complementary and alternative medicine」を訳したものです。そして、この「補完代替療法」「相補代替療法」を、通常医療である近代西洋医学と組み合わせたものを「統合医療」と位置づけました。厚生労働省の資料で次のように説明されています。
近代西洋医学を前提として、これに相補・代替療法や伝統医学等を組み合わせてさらにQOL(Quality Of Life=生活の質)を向上させる医療であり、医師主導で行うものであって、場合により多職種が協働して行うもの。(*参考2)
ラボ:「代替医療」という言葉はもう使わないのでしょうか?
大野:「代替医療」は「Alternative medicine」を訳した言葉です。一般的に使うことはあるでしょうが、正式な用語としてはあまり使われなくなっています。これにはアメリカ合衆国における事情が関係しています。アメリカは1998年、国家的な取り組みとして「National Center for Complementary and Alternative Medicine」(NCCAM、国立補完代替医療センター)を設立しました。当初、NCCAMでは「補完代替医療」を「一般的に通常医療とみなされていない医療・ヘルスケアシステム、施術、生成物などの総称」と定義していました。しかし、「代替医療」という言葉については通常医療を否定するニュアンスが含まれるため、この「complementary and alternative medicine」という言葉の代わりに「complementary health approaches」などの用語を用いるようになったのです。そして、2014年12月には組織名を「National Center for Complementary and Integrative Health」(NCCIH、国立補完統合衛生センター)に改称しました。近代西洋医学を前提とするという姿勢を、より明確に示した形と言えるでしょうか。ここに用いられた「Integrative」という言葉が「統合医療」の「統合」を意味しています。
玉石混交の情報を正しく理解するために
ラボ:厚生労働省が玉石混交である様々な「補完代替療法」を「統合医療」という位置づけながらも推進しているのは意外にも思えます。また、eJIMにはなぜ法律により禁じられている「大麻」を掲載しているのでしょうか?
大野:厚生労働省は「統合医療」を推進する立場をとっています。しかし「推進」といっても、この分野を野放しにするという意味では決してありません。前述した検討会を経て、以下の方針が示されました。
①補完代替療法の有効性・安全性を検証するための臨床試験を支援する。 ②補完代替医療法の科学的知見を取集し、インターネット等を介して情報を提供する。(*参考3)
これらの方針に基づき、eJIMでの情報公開は行われています。中には大麻のように、現在の日本では使うことが出来ないものも取り上げています。掲載するか、しないかについては議論もありましたが、この「取集」という方針を優先しました。尚、大麻のページは前述したアメリカの公的機関NCCIHが出している情報を翻訳したものになります。
現在は、pubmed(アメリカ国立医学図書館が運用する、生命科学や生物医学に関する文献や要約を掲載するデータベース)などを使って、誰でも医学論文にアクセスできる時代です。しかし、補完代替療法に関しては玉石混合様々な医療情報が混在している状態です。そのためeJIMでは公的機関であるNCCIHやコクランレビューなど、質の高い研究論文を取り上げることが多くなっています。
ラボ:補完代替医療の領域は、医師や医療者でもそのエビデンスについて、正確に理解している人が少ないと感じています。例えば「ある薬草を投与したグループ、しなかったグループを比較した臨床試験」の論文であれば、そもそも薬草のような植物では成分がばらばらでないのか?何が有効成分だったのか?匂いなどによるプラセボ効果だったのではないか?サンプルサイズ(臨床試験の参加者)は適切なのか?といった疑問が次々に生じます。そのため、その薬草が再現性をもって「ある病気に対して有効である。」と結論付けるのはとても難しい。しかし、白衣を着た医師など権威ある人が「こんな病気に対し、こんな研究を行った論文があります。」と発信すれば、こういった疑問をすっ飛ばし、「病気が治るのでは?」と誤解してしまう人がたくさん出てしまいます。eJIMでは何か対策などをされているのでしょうか?
大野:補完代替療法に関する研究は、必ずしも科学的に効果が証明できるものばかりではありません。そのため、コクランレビューなどでも「効果があるかどうかはよくわからない」といった歯切れが悪いものが多くなる傾向があります。しかし、それは「効果がない」ということを意味するわけではありません。
ですから、健康食品や補完代替療法を使うかどうかを考える際は、科学的根拠の有無や個人の好みや価値観だけではなく「健康被害、経済被害、機会損失」といった問題にも留意し、上手に付き合っていく必要があります。最近では、花粉症への効果をほのめかした健康茶にステロイドが含有されていた事件(*参考4)がありました。これは「健康被害」につながる可能性があります。また、治ると期待して選択したものに全く効果なければ、「経済被害」につながります。病院に行くのではなく、自己判断で補完代替療法を選択し、病気の発見が遅れた結果、状態が悪化すれば「機会損失」につながります。こういったリスクを理解する事が重要であり、玉石混交な情報をうまく選択するコツも、eJIMでは発信しています。
大麻という「薬草」について、日本社会で議論されるには?
ラボ:先の話ではありますが、大麻という「薬草」が日本社会で「補完代替療法」として認知されていくにはどうしたらよいとお考えでしょうか?何かアドバイスがあれば教えてください。
大野:大麻の場合、法律の問題をクリアしなければならない点が大きいですよね。それは横に置き、補完代替療法が認知されるための視点で見れば「安全性・有効性に関する科学的根拠」が最重要です。それらがなければ、患者をはじめ、医師やメディカルスタッフ(医師と協同して医療を行う医療専門職種の総称)といった医療従事者からの支持を得られることはないでしょう。
情報の伝え方もとても重要だと思います。大麻草の場合であれば「大麻草とは何を指すのか?」という定義も大切です。例えば、品種によってもさまざまな違いがあります。そのため、言葉の整理をしていくことが議論の土台にもつながっていくのではないでしょうか。また、日本において大麻は「違法な薬物」というイメージが定着しています。偏見の目で見られやすいため、そうならないよう慎重に情報発信を行っていく必要もあるのではないでしょうか。
参考
1:eJIM「大麻(マリファナ)とカンナビノイド Cannabis-Marijuana- and Cannabinoids」
3:厚生労働省「統合医療」のあり方に関する検討会 これまでの議論の整理について
4:独立行政法人 国民生活センター 花粉症への効果をほのめかした健康茶にステロイドが含有-飲用されている方は、医療機関にご相談を-
取材日:2023年5月1日